琉球古武道とは? その起源について
琉球古武道は、沖縄県の古武術の総称です。空手を含める場合もありますが、一般的には主に武器術を指します。
琉球古武道の起源は、明治時代以前にまで遡ります。琉球王国時代、琉球王府や士族階級を中心に武術が盛んに行われていました。 (「空手の起源」 参照)
琉球古武道は、これらの武術の中から、日常生活の道具や農具を武器として用いたものが発展したものと考えられています。
沖縄では、琉球王国時代から武器術が士族を中心に行われ、薩摩服属後も武器の所持が禁じられていなかったため、武器術が稽古され続けました。空手が禁武政策により発展したという俗説もありますが、実際は異なり、武器術も広く稽古されていたのです。 琉球士族は剣術、槍術、棒術、弓術などを含む様々な武器術を稽古し、名人も存在しました。
那覇でも久米村士族を中心に独自の武器術が伝承され、1867年には冊封使の歓迎祝賀会で様々な武器術が披露されました。非刀剣類の武器術も盛んであり、ブルース・リーでお馴染みの「ヌンチャク」やトンファー(こちらはジャッキー・チェンの映画でよく出てきます)なども使用されていました。これらの武器術は士族を中心に盛んでしたが、一部の平民武人も存在しました。
これらの武器術は廃藩置県後に多くが失伝しましたが、戦前から一部の武道家が保存・継承に取り組まれ、沖縄古武道協会が1961年に発足して保存活動が行われました。 こうして、今も古武道として今もその伝統を引き継がれ、守られています。
琉球古武道の武器には、棒、サイ、ヌンチャク、トンファー、鉄甲、ティンベー、鎌、エーク(櫂)などがあります。これらの武器は、それぞれに特徴的な形状や技法を持っています。
琉球古武道は、武術としての側面だけでなく、礼儀作法や精神修養の側面も重視されています。稽古では、礼儀作法や精神統一を重視し、心身を鍛錬します。
琉球古武道は、沖縄の伝統文化のひとつとして、国内外で広く親しまれています。
琉球古武道 三大流派
琉球古武道は、大きく分けて三つの系統があります。
- 平信賢の系統:平信賢は1897年に生まれ、船越義珍と屋比久孟伝に師事し、空手と琉球古武道を学びました。彼は1933年に群馬県で松濤館支部道場を開設し、1942年に沖縄に帰郷して後進の指導に当たりました。彼の弟子たちは琉球古武術保存振興会や琉球古武道「金剛流」、琉球古武道協会、修錬会を設立し、9つの武器術(棒術、サイ術、トンファー術、ヌンチャク術、鎌術、鉄甲術、ティンベー術、スルジン術、鉄柱術)を保存・継承しています。平信賢の系統は主に首里士族を中心とした武器術を特徴とし、添石良行、知念志喜屋仲、知念三郎(山根ウスメー)、多和田筑登之親雲上真睦、金城大筑などがその中に含まれます。
- 本部朝勇の系統:本部朝勇は1857年に生まれ、琉球王族の本部御殿の当主で、有名な空手家・本部朝基の兄です。彼は幼少時から父である本部按司朝真から本部御殿手を学び、この武術は朝茂と上原清吉に継承されました。戦後、上原が唯一の継承者となり、1961年に本部流古武術協会を設立し、1970年には新たに本部御殿手古武術協会を設立しました。本部御殿手では剣術、槍術、長刀術、棒術、杖術、短棒術、サイ術、ヌンチャク術、櫂(かい)術、石打ち術、鎌術などが伝承され、箒(ほうき)や鳥刺しのような日常用具も武器として使われています。この武術は琉球王族の伝統的な武器術を特徴としています。
- 又吉真光の系統:又吉真光は1888年に那覇市垣花町で生まれ、北谷村で育ちました。彼は具志川村の比嘉翁から棒術、櫂術、鎌術、釵術を、北谷村野原で伊禮翁からトンファー術、ヌンチャク術を学びました。また、中国に渡り馬術、手裏剣術、投縄術を学び、上海では師からティンベー術、スルチン術、ヌンティ術を習得しました。戦後、実子の又吉真豊(またよし しんぽう)が1960年に「光道館」を開設し、1970年には沖縄古武道連盟を設立しました。現在は金硬流唐手沖縄古武術の名前で活動しており、金硬流は沖縄本島中部の武器術と中国の武器術を継承する特徴があります。
琉球古武道の武具一覧 伝統的な武器とその特徴
棒術
琉球古武道の棒術は、通常、棒の長さは約1.8メートルの六尺棒が一般的で、太さが中央で若干太くなるタイプや、端・中央とも均一なタイプがあります。突き、斬り、払い、打ち落としなど、さまざまな技を駆使して相手の攻撃に対抗し、反撃を行います。さらに、棒術は単なる攻撃だけでなく、相手の動きを制御したり、封じたりする技も備えており、高度な戦術性があります。棒術の演武は、力強くしなやかな動きが特筆されます。
釵
(サイ)
琉球古武道の武器である釵は、琉球王国時代には警察署長や刑事などが使用し、犯人逮捕や群衆の誘導に活用されていました。これは、中国の似た武器である筆架叉が琉球に伝わり、釵として用いられるようになった可能性があるとされています。中国の筆架叉は南方の農民が護身用に利用していた道具であり、その技法は琉球古武術において打つ、突く、受ける、引っかける、投げるなどの技法として継承されました。琉球古武術では通常、釵は2本1組で、左右の手にそれぞれ持って扱います。形状は十手に似たものが一般的であり、中には卍形のまんじ釵と呼ばれるものも存在します。
トンファー
トンファーは、通常はおおよそ45センチメートルの長さの棒で、片方の端近くには垂直に短い棒が取り付けられています。基本的には2つ1組で、左右の手にそれぞれ持って扱います。トンファーを握ることで、自分の腕から肘を覆うように構え、相手の攻撃を受けるだけでなく、突き出すか、空いている手や蹴りを使って反撃することができます。握り部分を持った状態で、長い部位を相手に向けて扱うことも可能で、手首の返し方によって柔軟に様々な攻撃・防御技法が展開されます。トンファーの起源には諸説ありますが、その形状からも、石臼の挽き棒から進化したとする説も有力です。なんと、今ではアメリカはじめ海外の警察や軍隊等でも活用されてます。
ヌンチャク
ヌンチャクは、2本の棒を鎖や紐などで結んだ武器です。ヌンチャクの起源は諸説ありますが、沖縄では馬具「ムーゲー」(馬の口に装着して、口を閉じさせ、暴れないようにするための道具)からの発生説や、麦や稲の脱穀用具「唐棹(からさお)」からの発生説もあります。ヌンチャクは、沖縄古武術の武器として、さまざまな流派で用いられてきました。しかし、沖縄だけでなく、中国やフィリピンなどの地域でも似たような形状の武器が存在します。そのため、ヌンチャクの起源は、沖縄に限らず、複数の地域で発生した可能性も考えられます。ヌンチャクは相手の動きを制御したり、動きを封じたりする技も多く、戦術性の高い武器と言えます。
ヌンチャクは、ブルース・リーの代表作「燃えよドラゴン」によって世界的に広く知られるようになりました。映画の中で、ヌンチャクを華麗に操るブルース・リーは、多くの人々を魅了し、ヌンチャクの人気を高めました。
鎌術
沖縄の鎌術は、沖縄県で発達した武術の一種で、鎌を武器として用います。鎌は農作業や林業などの日常生活でも使われていたため、身近な武器として広く普及していました。沖縄の鎌術の歴史は古く、琉球王国時代にはすでに行われていたと考えられています。流派によって鎌の形状や長さの位置が異なり、多様性があります。鎌術から派生した二丁鎌術(双鎌術)や鎖鎌術も存在します。鎌術の歴史には諸説ありますが、一説では士族が隠し武器として発展したとされています。
鉄甲術
琉球古武道の鉄甲術は、鉄の輪を手にはめて攻防を行う武術です。元々は農耕用の蹄鉄として利用されていたため、外側に突起が付いています。この突起を相手に向けて突いたり、切ったりすることで、攻撃や防御に役立てることができます。鉄甲術の種類としては、大きく分けて2つあります。1つは、刃物のように先のとがった「刃鉄甲」です。もう1つは、先が丸く、相手を突いたり、払ったり、掴んだりするのに適した「素鉄甲」です。
ティンベー術
`ティンベー術とは、沖縄の武術の一種で、ティンベーと呼ばれる盾とローチンと呼ばれる刀を使った戦闘技術です。ティンベーは亀の甲羅や竹などで作られた円形の盾で、直径約30センチメートルほどです。ローチンは沖縄の伝統的な刀で、刃渡りは約40センチメートルほどです。ティンベー術は、ティンベーで敵の攻撃を防ぎながら、ローチンで反撃するという戦法を基本としています。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「琉球古武術」より一部引用(要約)
コメント